いまここで,シェイクスピア全集のある部分を,マルクスの「資本論」の同じ長さのある部分と比較することを考える。この部分は書かれている内容は両者で全く異なるが,ただアルファベット26文字の出てくる頻度は全部同じだとしよう。そしてこの部分の文字の総数がN個であったとする。

 ここでN次元空間を考えて,それらN個の文字がその空間内にばらまかれている状態を考える。この時のばらまき方は,その二次元平面への射影がちょうど先程のシェイクスピア全集の一部になるようになっているとする。

 しかしもちろん射影のやり方は一通りではない。他にもいろいろなパターンの射影が存在し,それぞれにおいて平面上の射影された文字の配列は異なる。そして「資本論」の側と文字の頻度が同じならば,射影したときにちょうど「資本論」になるような角度というものはどこかに必ず存在するはずなのである。

 すなわちシェイクスピア全集は実はもともとN次元空間の本なのであり,これは見る角度を変えると「資本論」にな化けてしまうという「統一理論」は立派に成立することになる。

塵理論 - Log of ROYGB

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